奈良県保険医協会

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知られざる歴史をたずねて――天理・柳本飛行場跡探訪(11月3日)

知られざる歴史をたずねて――天理・柳本飛行場跡探訪

 奈良県保険医協会は11月3日(水・祝)、会員親睦も兼ねての2年ぶりのフィールドワーク企画「天理・柳本飛行場跡探訪」を開催し、会員とその家族ら28名が参加しました。案内(講師)は、元天理高校教諭の髙野眞幸さんが務めました。

 のどかな田園風景広がる天理市内の一画に、戦時中、大和海軍航空隊大和基地(通称・柳本飛行場)が存在したこと、そして今も多くの痕跡が残されていることはあまり知られていません。今回、身近な戦跡を改めて学習すべく企画しました。

 参加者一行は、朝9:50、JR万葉まほろば線(桜井線)の長柄駅に集合。同駅前で青山哲也理事長の挨拶と講師・高野氏からの行程の概説を聞いたあと出発。周辺に点在する飛行場の関連史跡を徒歩でめぐりながら視察しました。

 建設当時、滑走路の設置に伴い川の付け替えや神社・寺・墓地・ため池・農地などが廃棄、移転した歴史も学びました。また、当時の姿のまま現存している、古墳に似せて作ったとされる防空壕や航空機の機体を隠すために造られた掩体壕の痕跡(コンクリート製の基礎部分)などを目の当たりにして、参加者は熱心に写真に収めるなど往時に思いをはせていました。平和の尊さを改めて味わいつつ、長柄駅のとなりの柳本駅をゴールに、予定通り正午で解散となりました。

 当日は好天に恵まれ、コロナ禍で外出機会が限られていたこともあって、爽やかな秋空のもと久々の運動も兼ねての半日の行程に、心地よい疲れのなか感想を交わしながら帰路につきました。

市民有志が設置した飛行場跡の説明板の前で説明を聞く。
田んぼの中に今も残る分厚いコンクリート製の防空壕に見入る参加者一行。

参加記

前から楽しみにしていた企画――戦後はまだ終わっていない

大和郡山市・(医)岡谷会小泉診療所 水谷和宏

 11月3日、文化の日、抜ける様な秋晴れの朝、反核平和委員会企画の天理・柳本飛行場跡探訪のフィールドワークに参加させていただきました。

 以前にも他団体の主催で、同じような企画も何回か目にしたのですが、開催日が平日であったり、また、その休日に他の業務があったりしてなかなか参加する機会に恵まれませんでした。今回の戦跡巡りは何としても是非おとずれてみたいと、前から楽しみにしていました。そして、こう言ってはなんですが、運動不足の解消もかねて、妻と二人での参加となりました。

 少し日差しも強い秋の日、天理ののどかな田園地帯を、講師・高野先生の詳しい説明を聞きながら2時問かけて散策。今ではもう78年も前の先の大戦の末期、軍の命令でここに突貫工事で、飛行場が 作られ実際に当時の最新兵器、零戦もここから空に舞いあがったそうです。

 飛行場跡も今では田んぼに戻され、所どころに、防空壕跡、掩体壕跡、滑走路跡のセメントの固まり、排水路跡を残すのみとなっており、説明板がなければいまでは想像もつかない風景に変わっています。

 考えますと、昭和の初期、日本の国際連盟脱退からはじまり、軍人が幅をきかす軍国主義の道を走り、5.15事件、2.26事件等を経て戦争まっしぐらの歴史でした。日韓併合で朝鮮半島を植民地化し、多くの朝鮮人が労働者として日本に連れ来られ、兵力増員のつけで労働者不足の日本の土木工事を支えました。

 今回の飛行場跡探訪のフィールドワークでも当時の朝鮮人労働者の住んでいた、今では赤さびたトタン屋根のバラックを眼の前にして心が痛む思いです。現在も、ここにはかつての労働者の子孫が静かに住んで居られるそうですが、彼らにとって戦後はまだ終わっていない印象をうけました。

 最後に、参加者に配られました奈良ホテル特製の弁当、最高の味でした。ありがとうございました。

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