奈良県保険医協会

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医療事故調査制度の本質

 本年10月1日より医療事故調査制度が開始された。日本における死因究明制度は明治39年の「医師法、施行規則9条」の規定(医師屍体ヲ…検案シテ異常アリト認ムルトキハ二十四時間以内二所轄警察官署二届出ヘシ)により医師による所轄警察署への届出義務が始まり、昭和23年制定の「医師法21条」にもほぼ同じ内容で継承され現在に至っている。
 医師法21条の趣旨は、犯罪と関係がありそうな異状死体を発見した場合に医師に犯罪捜査の協力義務を課すことであり、医師自らが医療上の過失を届け出ることを想定していなかった。厚生省(当時)に調査権限はなく、警察が捜査して刑事罰を医師に課した時にだけ厚生省は医師に行政処分を行えたが、医療事故の内容そのものを把握できなかった。
 80年代から医療事故の真相究明を求める患者の声が大きくなったが、内部調査のシステムが無いため、患者は訴訟を起こすしかなく、患者側と医療側の対立関係を深めるばかりで依然として真相は明らかになることは少なかった。
 1994年に日本法医学会が「異状死ガイドライン」を公表したが、その中で「診断されている病気で死亡すること」以外をすべて「異状死」とすることで、異状死の範囲が不明確なまま拡大した。さらに02年に日本外科学会ガイドラインでは事故の届出を死亡以外でも広く義務づける見解を示した。医療界全体が不明瞭な「異状死」に対して警察署に届けなければいけないという空気になり、1999年に都立広尾病院始め一連の医療事故が発生した。以後警察が積極的に捜査するようになり、医師に対する圧力が大きくなってきた。14年4月に起きた国立国際医療研究センター「ウログラフィン」医療事故の裁判では当該医師は業務上過失致死罪で禁固刑を言い渡されている。
 既存のシステムは、医療事故の真相を知りたい患者側の求めには答えることができず、その真相究明を警察に委ねたことで、不当な刑事罰を受ける可能性が増し、医師の不安を大きくした。
 厚労省は07年に「診療関連死の課題と検討の方向性(第一次試案)」を公表し、14年に医療介護確保一体法の一部として「医療事故調査制度」を制定した。
 以上の経緯から推測すると、この医療事故調査制度は警察に届出をする前段階の厚労省主導の内部調査と位置づけられるが、主体である「医療事故調査・支援センター」の構成が明らかでなく、どのように運用されるかは不明瞭である。
 いきなり刑事罰につながることはないにしても、調査資料が裁判の材料になる危険性ははらんでいる。患者側の弁護士の要求が強ければさらにまだ刑事罰の可能性は残っている。そして厚労省が行政処分を独自に容易に行えることは言うまでもない。
 もう既に法律で定まった制度であるため、実際に自院で医療事故が発生した場合はこの制度の適応ならびに対応を巡り混乱が予想されるが、協会としての対応を急いでいる。

【奈良保険医新聞第399号(2015年12月15日発行)より】


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