奈良県保険医協会

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「集団的自衛権」の行使容認について―明治から現在までを振り返って

 昨年7月、安倍内閣の閣議決定に盛り込まれた集団的自衛権をめぐる武力行使の「新3要件」において「我が国の存立」という言葉が使われている。新3要件とは、①日本および日本と密接な関係にある他国で「我が国の存立」が脅かされるような武力攻撃があった場合、②これを排除し国民を守るために適当な手段がなかった時、③必要最小限の実力行使を行うというものである。

 日本において「国の存立の危機」が明確にあったのは明治維新の時が最初であった。西欧資本主義国家が武力を背景に植民地獲得競争した時代であり、「欧米の植民地となるか」「民族の独立を維持して近代化するか」の選択を迫られた。若い明治の指導者は好戦的で、朝鮮、台湾に武力をもって進行、続く日清、日露戦争を経て、アジアで唯一の帝国主義覇権国家となることで、不平等条約を撤廃して「民族の独立」を維持し最初の「国の存立の危機」は回避できた。
 強兵を維持するためには、国の経済をさらに大きくする必要がありてっとり早く周辺国の資源を略奪する軍事大国となって資本主義を進めた。ところが1929年の世界大恐慌の影響が第二の「国の存立の危機」となった。資源の乏しい日本は周辺国を侵略略奪することで活路を見出そうとし、軍部が主導し、15年戦争を起こしたが、米国が参戦するとわずか4年で敗戦となり、第二の「国の存立の危機」は回避できなかった。それどころか明治から続いていた体制は廃止され「国の存立」はなくなった。

 戦後は朝鮮戦争のおかげで、日米安保条約を担保として独立を認められたが、政治外交経済は米国の指示に従うしかない状態で第三の「国の存立の危機」であった。その際に新しく国の指導者となったのは、かつての戦争指導者であり、社会主義に危機感を抱いた経済界の強い希望で自由民主党を結党したが、政綱には自主憲法の制定と自衛軍備が唄われている。その後、朝鮮戦争の軍需景気により日本の経済は復活し、当時の米国のリベラリズムに後押しされて国民生活は豊かになり、社会保障も充実した。憲法のおかげで「国の存立」を維持した。

 現在は新たな難題が起きている。一つは日本の経済力が低下してきたこと、もう一つは覇権国である米国が地盤沈下して世界の安全保障が不安定になってきたことである。

 さて、現在の政府の主流は自民党の末裔であるが、結党時の政綱をコピーして自主憲法の制定と自衛軍備を進めることで、この難問に答えようとしている。しかし、もっと良い解答があるはずである。われわれ国民の叡智が問われている。

【奈良保険医新聞第392号(2015年5月15日発行)より】


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