奈良県保険医協会

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「自助・共助・公助」の原点、歴史を振り返る

 戦後の日本の社会保障の歴史は1950年の「社会保障制度に関する勧告」 (50年勧告)に始まる。この勧告では日本国憲法第25条に則り、国民には生存権 があり国家には生活保障の義務があるとされ、年金制度として国民年金、厚生年金、企業年金、医療保険制度として国民皆保険(1961年)、老人保健(1983年)、介護保険(2000年)、その他雇用保険(1974年)、生活保護(1946年)、児童手当などの社会保障制度が整備された。

新自由主義の台頭
 しかし、1970年代末から財界や保守政党などの「新自由主義」勢力の社会保障に対する切り崩しが始まった。
 政府は1979年に「新経済社会7か年計画」(個人の自助努力と家庭や近隣、地域社会等の連携を基礎としつつ、効率の良い政府が適正な公的福祉を重点的に保証する、日本型福祉社会)を出した。読み替えると、福祉は個人の自己責任が基本で、足らざるは日本の家族制の働き手である女性に児童福祉、高齢者福祉を押し付け、「効率の良い」政府というのは 「福祉を削る小さい」政府であり、適正な」「重点的」はつまり「絞り込み・削減」である。

財界が政治を主導
 一方、財界は、1995年に「新時代の日本的経営」(それまでの家族的な日本的経営を株主利益重視のアメリカ型経営に変える)、1997年に「市場主義宣言」(正規雇用を減らし非正規雇用労働者には社会保障の責任を持たない)、2001年に「自立国家構想」(規制されていた社会福祉、医療分野に民間企業の営利を可能とし、そのサービスを享受するかわりに政府が担う責任は減らし、足らない部分は各自国民が自助努力で補う)、2003年に「活力と魅力あふれる日本をめざして―日本経団連新ビジョン」(保険料の労使折半を止める)を提案した。
 同様に政府は「95年勧告」(育児や介護、老親扶養は国が担う社会保障ではなく、家族、親族、身近な地域社会で私的に行う相互扶助が共助であると定義)、2015年に「骨太方針2015」(公共サービスを民営化して、税金からの支出を削減する)を発表した。

これからの課題
 菅首相が主張する自助・共助・公助は、日本が新自由主義、「小さな政府」路線にすすんできた歴史が未だに続いていることの表れとも言える。
 今回の新型コロナで多くの犠牲者が出ている国々を見れば、社会保障を民間に委ねている国ほど被害が大きいことが分かる。アメリカに代表されるような新自由主義は世界的な感染症の流行には無力である。日本国憲法に則った「50年勧告」に立ち戻って、われわれ医療者は既存の日本の社会保障を建て直さなければならない。

【奈良保険医新聞第459号(2020年12月15日発行)より】

主張

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